長所は短所、短所は長所と言いますが、現代ならば長所を生かして、短所の部分は人に任せる。

なんてこともできますが、一度しかないこの命。

戦国の世には1回のしくじりが命取りです。

長所は自分を押上てくれるものであり、また調子に乗って思わぬ失敗をしてしまう、危険なものです。

自分に近いタイプの武将の欠点を把握すれば、しくじりを回避して、一生安泰です。

 

行動タイプ織田信長

 

戦国武将の中でも一番の人気者。

しかし、一番近づいたら危ない強い人のようなイメージです。

何か新しいことを始める時には、周囲の空気を読めないというよりも、周囲の物をどんどん破壊していくパワーを秘めた人です。

しかしあまりにもパワーが凄すぎて、普通の人には理解できないついていけないという人も出てくるでしょう。
現に信長は再三にわたって、離反者が続出し、常に命を狙われていました。

光秀が本能寺で襲わなくても、いずれはどこかで不慮の死をとげていたでしょう。

自分の力で1代から築き上げた社長に起こりがちな失敗のパターンです。
様々な条件があったればこその成功ですが、全て自分の力だと勘違いしてしまうようです。

仮に家康の方が信長の上司になったらどうでしょう。

信長は全く言うことを聞かずにやりたい放題。

徳川家康にとっては扱いに困る部下になったに違いありません。

すぐに飛び出すか、対立して戦っていたでしょう。

徳川家康は信長型や秀吉型のタイプが出てこないような、ガチガチのシステム作り上げ、二百数十年に渡る支配を続けました。

 

信長タイプの対処法

 

スティーブ・ジョブズは1度創業したAppleを追い出されて、返り咲きましたが、なかなかもし謀反を起こされたら、再びその地位を取り戻すのは大変です。

部下の離反を防ぐために、信長は自分と全く真逆のタイプの、家康や光秀の態度を学ぶべきでした。

自分の失敗を他人のせいにせずに、聞く耳をもつべきでした。
それが出来ないのが信長のキャラなんですけどね。

 

理論タイプ明智光秀

 

大河ドラマ麒麟がくるの明智光秀はまるで現代人がそのまま戦国時代にタイムスリップしたように平和の意識が強い理想の人間像でした。

しかし、実際の光秀は信長の比叡山の焼き討ちなど、残虐な活動にも積極的に参加しており、ドラマとはちょっと違うようです。

光秀の場合、豊臣秀吉の家臣石田三成と同じように官僚タイプですね。

自分より上の立場の権威を利用する形でなら、力を発揮することができます。

しかしいざ自分一人で何かことをなそうとすると失敗します。

あまりにも嫌われ役をしてきたので、人望もありません。

例えば石田三成も秀吉の命令で事務的な仕事をしてきたのに、光成自身が恨みを持たれてしまいます。

 

理論タイプの対処方法

 

大河ドラマ麒麟がくるでもそうでしたが、光秀タイプの人は、むしろ家康タイプの人の部下になっていれば幸せだったんじゃないでしょうか?

家康にとっても光秀のような堅実なタイプが好みだったと思います。
光秀の最大の不幸は信長の家臣になったということかもしれません。

光秀は自分と全く真逆なタイプの秀吉の処世術を学ぶべきでした。
でも、生真面目な理論タイプが秀吉を真似しようと思って、もすぐアラが出るし、嫌気がさすでしょう。

信長タイプが上司になった場合は、あえて自分の実力を出さない。
ただ実務に徹してやりすごして、出世を諦めて、平穏無事な人生を歩む。
案外そうやって生きている人も多いのかもしれません。

 

創造タイプ豊臣秀吉

 

戦後の復興期や、バブルの時代だと豊臣秀吉は革新的なヒーローとしてもてはやされました。

織田信長のもとで、出世街道を歩いている時までは、その長所しか目立ちませんが、
天下を取ってからはだんだんとその悪癖が見えてきます。

特に朝鮮出兵、千利休の処刑、甥の豊臣秀次の処刑など理不尽な行為も多くなってきます。

特に朝鮮出兵は、最悪の愚行です。

天下を取ってしまったことで、自分がやることに失敗はないと言う思い込みが出来上がってしまったようです。

信長と光秀は最悪の相性でしたが、信長と秀吉は最高の関係でした。

信長の要求する新しいアイデアを次々と練り出していく秀吉は。信長は可愛くてしょうがなかったでしょう。

 

創造タイプ・秀吉タイプの対処法

 

秀吉タイプはトップになるまでは、とんとん拍子に出世できるでしょう。

しかし、問題はトップになった後、あっという間に信長と同じような暴君になりました。
自分の死んだ後の日本をどのように舵取りしていくつもりだったのか疑問です。

自分と真逆の光秀や家康のように、真剣に日本の将来はどういう形であるの考えるべきでした。
比較的に早く死んだので、自滅しませんでしたが、長く続いていたらどうなっていたか分かりません。

堅実さ、理念、ビジョンが欲しいですね。

 

協調タイプ徳川家康

 

徳川家康が天下を取れたのは、やたらとわれがわれがと自己主張をしたがる者が多い戦国時代
の中で、全く真逆の性格、堅実さと協調性を持っていたからだと言えます。

しかし、この性格、戦乱の世であれば活きますが、安定した世であると、停滞や衰退を招く恐れがあります。

家康が作り上げたシステムは、信長型や秀吉型のような突出した能力があるものの芽を徹底的に排除するものでした。

何もしない何も変えないのが正しくなり、得をするようになるので、盲目的に昔のままのやり方を通そうとします。

それが原因で江戸時代は度々、衰退の危機に直面します。

 

協調タイプ・家康タイプの対処法

 

家康タイプの危機は保守的になりすぎて、停滞することです。
と言っても、家康には新しいものを考える才能はありません。
ひらめき型のブレーンを置くか、いいアイデアを出す人を登用するシステムを造った方がいいようです。

 

まとめ

 

今回は信長、光秀、秀吉、家康タイプの弱点とその対処法をお伝えしました。

誰でも4人のうちの中で必ず当てはまるので、参考にしてみてください。