亀山早苗著「人はなぜ不倫をするのか?」から心理学者福島哲男さんの談話から、心理学では不倫をどうとらえるのか見ていきましょう。

 

 

不倫に落ちる人は生育上に問題を抱えている

 

ウンセリングに来る人はみんな何かしらの生きづらさや苦しさを抱えています。
中には不倫をしている方も少なくありません。
不倫そのものが問題でカウンセリングに来ているわけではないですが、問題を抱えている中で不倫が始まることもあります。
そして、不倫の経験のある方はほぼ全員が生育上の問題を持っていました。
もちろん一般的に生育上の問題があるから不倫に走るとは言えません、
これは特に女性に顕著で、家族の中でいつも精神的に傷つけられながら大きくなった「見捨てられ不安」が強い女性が多く自傷行為・摂食障害なども見られます。
10歳前後で家庭内で性的虐待を受けると、成長してから不特定多数の異性と性体験を繰り返す人もいます。こういう人は自ら性風俗に飛び込むケースもあります。
これは幼い頃性的なことで、自分が求められ、相手が満足したことによって唯一の存在価値を感じた結果です。
こういう人は愛とか親密性が性的なものでしか成立しないと考えています。
女性同士の親密さが持てず相談できる友人もいません。
育っていく過程の愛情の過不足の問題は大きいのです。
愛情不足で育つと人は不足を補おうとします。
男性は極度のマザコンになり、女性は父親のような年上の男性ばかり求めたり、あるいは逆に男性恐怖症に陥ったりします。
多くの人は愛される価値が自分にはないと思っていて恋人がいるのに常に誰かと浮気を繰り返したり、会社の上司と不倫を続けてしまったりします。
ダメだと言っても愛情不足で育っているから、どこかで恋人の愛情信頼できません。
誰かと関係を持ったところで不安が解消されるわけでなく、「もっともっと」と欲求が広がり、他の人とも関係を持ってしまいます。
一方愛情過多・過保護・過干渉で育てると今度は自分が誰かを支配することで心を満たそうとする人もいます。

 

不倫体質をやめるためにはモテ子モテ男になるしかない

 

福島氏はある男性が愛情を信じられずに苦しんでいたときに、「やりちんを目指しながら自分に合う恋人をめざす」アプローチを指導します。次々の女性を乗り換えるうちに、愛される価値がないと思っていた思い込みが消え、自分も選ばれる立場になれると、自信を持ち、自分と合うひとも見極められるようになりました。さまざまな女性とつきあううちにやっと自分にあう支え合える相手を見つけることができました。
やりちんからモテ男に進化したのです。

 

不倫だからこそ安心して付き合えるという女性の心理

 

本人は意識していないのかもしれませんが、選ばれないのが分かっているから不倫でいいというのです。
既婚者と付き合う独身女性に多く、本当は選ばれて付き合って結婚したいと思っています。
一度選ぶ行為が行われるとそこには何かしらの結果が出るので、それが怖いから避けようとする。
人への不信感と自己卑下の問題が関わってきます。
生育の中で良い出会いがなかったとか努力して何かを克服してきた経験がないと、自分は愛される価値がないと思い込んでしまいます。
一方で愛のことなど考えられないようにしている人も増える傾向があります。
愛とは何かと意識すると自分を心から愛してくれる人などいないと感じてものすごく寂しくなる。
だからこそそこには蓋をして物事を深く考えないようにする風潮もあります。

 

複数同時進行か全く経験なしか、2極化する若者たちの性

 

福島氏は女子大で教鞭をとっていますが、複数の異性といても充たされていない女性がいる一方で、全く未経験の人も増えています。つまり恋愛しまくっている人もいれば、逆に処女のままの人と2極化しているというのです。
ドラマ化もされた漫画「来世ではちゃんとします」では、5人のセフレと愛を営む梅ちゃんとBL好きで一見ギャル風だけど実は処女という対象的な2人の女性が登場しました。
今の二極化を象徴しているキャラクターです。

 

不倫をしやすい人とは?

 

福島氏は不倫に陥りやすい人は、恋愛の初期の段階、見た目や声や性格で刺激されて、狂気的や遊びの愛に惹かれるといいます。
そして、不倫をする人が、1つが終わっても何度も同じ過ちを繰り返してしまう原因を、どんなに強く愛しても、ずっと一緒にいたらアラが見えてきて、いずれは幻滅し冷めてしまうのに、不倫の場合は時々しか会えず、あえても限られた時間で、しかも相手のいい部分しか見えない、見せないため、結婚と違い、相手への錯覚がいつまで消えない性質のためだといいます。
不倫に陥ってしまう女性の多くは、おおむね生育期に母親の愛情に問題があった人です。
毒親に育った女性の多くが交際する男性に母親を求めてしまうのだとか。
これは無理があって、とても心が充たされそうにありません。